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| 高額医療費のカルテ |
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健保連は毎年、定例で高額医療発表する。
それを見ると暗澹たる思いにさせられるのである。 ひとりの患者が数千万円の医療費を費やしている。
それでも患者の病気が治っていれば救いがある。
ほとんどの患者は病院で死亡しているのである。超高額医療費のカルテを分析したことがある。
手術、再手術、再々手術……、信じられないくらいの量で点滴、度重なる検査。数千万円の医療費と言ったが、わずか1ヶ月間の医療費なのである。
膨大な額の医療サービスが病んだからだに投入される。
手術場で何度も身体を切りきざまれ、ICUでスパゲッティ状態にされながら孤独に死んでいく。
医療者たちは患者の生命を救うために、治すために必死に取り組む。
いや、本当に治ると思っているのだろうか。後に引き返せないから、ただひたすら突き進んでいるのではないか。
あるいはそうすることが医療者の倫理だと信じてそうしているのだろうか。
イヴァン・イリッチ著『脱病院化時代――医療の限界』には次のような記述がある。
「治療は死を前にした患者をめぐる死の舞踏において極点に達する。
1日あたり500ドルから2000ドルかけて白衣・青衣の司祭たちが消毒の香りの中の残れる部分をつつみ込む。
香煙と火葬壇が異国風であればあるほど僧侶をあざける。
医療技術の宗教的利用以上に盛んとなり医師と葬儀屋を画する一線はぼんやりしてきている。
ベッドは死者でもない生者でもない者によっていっぱいである。
祈願する医師は自分自身を管理する者だと考える。(中略)
銀行、国家、寝台の危機の管理者のように、彼は破滅的な作戦を立て、無駄 で無用、かつ奇怪に見える手段を動員するのである」
現代人は、医療者も患者も近代医療という名のテクノロジーがあらゆる病気を治してくれるという幻想を持っているのではないだろうか。
しかし成功するとはかぎらない。成功しないとき、医療者たちは危機を儀式化すると、イリッチは言う。 |
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