医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考えるコンシューマーヘルス
 
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高齢社会、患者の求める医療とは
高齢社会、患者の求める医療とは
 
 高齢社会において患者の求める医療とは・・・という問いをさまざまな人に問いかけてみることがある。 あるひとは「心あたたかな医療」といい、またあるひとは「患者に優しい医療」だという。  
これらの答えは言葉として理解できる。

 では「心あたたかな医療」とは、「患者に優しい医療」とは一体なんなのか・・・、と考えると、いまひとつ具体的なイメージを結んでくれない。
そんなとき、唐突にも太宰治が友人に当てた手紙の一節を思い出した。    
「私は優という字を考えます。これは優れるという字で、優、良、可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もうひとつ読み方があるでしょう? 優しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏に、憂うると書いています。人を憂える、人の寂しさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間としていちばん優れていることじゃないかしら・・・」
   
 才人、太宰らしい感性鋭い言葉だと思う。
医療を求める患者は、痛み、寂しさ、わびしさ、つらさを持っている人たちである。そのことを憂うることが優しさだというのである。
〈癒しの医療〉とは心に重心をおく、優しいケアのことではないかと考える。

 山梨県甲府市のふじ内科クリニックの内藤いづみ院長は、在宅ホスピスを地道に実践している数少ない医師である。

 内藤医師はいう。  
「私たち医療者にとって、ケアは一人ひとりの患者さんの『物語』に参加させていただくことだと思っています」と。

 患者の「物語」に参加するとはどういうことなのか。
患者の痛み、寂しさ、つらさ、そして喜びに参加することではないだろうか。
太宰流にいえば「優しさ」である。今日的言葉でいえば「共感」であろう。  
「共感」(sympathy)は他人の悲しみ、苦しみなどを思いやることである。
私自身、交通事故で外傷を負って、腕のいい外科医に治してもらえば、それで満足である。「優しさ」など求めはしない。

 しかし、老人になって介護が必要になったとき、私が求めるの、私を憂いてくれる「共感のケア」である。

 長く生きなくてはならない時代、人々は真剣に「死に水をとってくれる」医師に〈癒し〉を求めるはずである。

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