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名ばかり専門医≠ホかりの横行
医療ジャーナリスト 和田努
今春、東京医科大学病院の心臓外科医(四五歳)が担当した心臓弁膜症の手術で患者四人が相次いで死亡した事故は記憶に新しい。同大学の調査委員会は「基本的な知識や技術の不足」と指摘した。大学病院の四五歳の専門医の資格を持つ医師が、基本的な知識や技術の不足している、ということは一般の市民にとってショックである。私たち日本人の多くは、日本は先進国だと思い込んでいる。医学のレベルの関しても、かなりの水準を保っていると思っている。本当にそうなのだろうか?
心臓移植を例にとってみる。この一〇月、国立循環器病センターで行われた心臓移植手術でやっと二八例である。お隣の韓国は、脳死が法制的にクリアーになってまだ八年しか経っていないが、すでに一六七例行っている。心臓移植の症例数で医療レベルをはかるのは、問題があるかもしれないが、日本の心臓手術の現場に大きな問題をかかえていることは事実である。
さきほど、国立循環器病センター北村惣一センター長の講演(日本医学ジャーナリスト協会主催)を聴く機会があった。北村氏は次のような例を示した。 英国の人口は約六千万人。日本のほぼ半分と見ていい。心臓バイパス手術を四〇病院、一七七人の専門医が行っている。日本は同じ手術を、五四三病院、約一五〇〇人の専門医が行っている。
この数字を見て、多くの方は日本は病院数、専門医の数はなんと潤沢ではないか、とお感じになるに違いない。ところが、日本の場合、平均すれば、一病院当たり、一年間の手術件数は九〇例に過ぎない。国立循環器病センターや東京の榊原記念病院のように六〇〇例を超えるような病院もあって、完全にガリバー型になっている。大病院や大学病院でも二五例以下という病院も結構ある。一ヶ月に二例くらいの手術数で、技術が磨かれるはずがない。
『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰作・講談社)という日本の医療界の病巣を描いた劇画があるが、登場人物に日本の大学の心臓外科医のことを「めったに包丁をにぎらねえ料理人みてえなもんだ」と言わしている。まさにそういう状況にあるのだ。
日英を比較したが、イギリスは心臓を手術する病院は、集中化している。韓国も、アメリカも同様である。日本は病院が多くて、専門医も多いから恵まれているように思えるが、一病院でみれば症例数は、極めて少なく、若い医師は、腕を磨く機会は少ないし、雑用に追い立てられてるケースが多い。一五〇〇人もいる心臓外科医という専門医の多くは、「名ばかり専門医」なのだ。
東京医大の医療事故は、こうした文脈から起こるべくして起こった事故といえる。日本では腕が磨けないので、多くの手術をできるアジア各国に出かけていく若手医師がいるという。患者のほうも経済的に余裕のある人は、外国に心臓手術を受けに行く人も多い。
「心臓手術のように技術を磨くために多くの手術経験の必要な分野は、研修病院を絞り込む必要があると思います。専門医の認定数も上限を設けたほうがいい。現在の学会認定医は、専門医に値する水準に達していません。各学会が認定しているのでどうしても会員の利益を考えて甘くなる。第三者機関を創設してもっと厳しくする必要があります」(北村惣一郎氏)
名ばかり専門医≠私たちは求めていない。厚生労働省も、国民が安心できる専門医を育てる明確なプランを示すべきではないか。
超≠ニいう字がつく高齢社会を迎えた今、老年学(ジェロントロジー)は、きわめて重要な学問になってきた。同学会の会員数も約1700人と急成長している。医学、看護・介護学、心理学、社会学、生命倫理、哲学など、多くの領域にわたっている。超学際的な学問ということができる。
これまで老年の学というと、病弱な老人、障害老人、認知症(痴呆)、寝たきり老人を対象にするというイメージがあったが、学会に参加してみると、まったく違う印象を受ける。
桜美林大学大学院の柴田博教授の会長講演のタイトルは『高齢者の社会貢献の意義』。高齢者が保護され、介護され弱者としての高齢者ではなく、生きがいを持って仕事やボランティアとして、社会貢献する前向きに生きる高齢者の人間学であるというメッセージが、柴田教授の講演から聞こえてくる。
「ごく普通の人に聞いていただいて、面白いな、と思わせるものでないと、社会に息づく老年学ではないと思います。もちろんそれが、きちんと理論化されていないと学問に値しないということは、言うまでもありませんが」(柴田会長の話)
アメリカで語られ始めた概念であるが、「サクセスフル・エイジング」がある。「成功した年のとり方」とでも訳しておこうか。今回の学会でもこの概念が大きなテーマになった。
柴田会長は講演の中で「サクセスフル・エイジングの条件」として三つの条件を示した。
1) 長寿 2) 高い生活の質(QOL) 3) 高い社会貢献。
人生の完成期が、健康で、社会に対して貢献できることは、無上の喜びに違いない。
「団塊の世代07年問題」がある。600万人を超すこの世代が相次いで定年を迎える。2015年には、団塊の世代の人たちが老人としてカウントされる。やがて後期高齢者になる。そのとき、医療費は80兆円に膨れ上がるといわれている。年金はどうなる。これからが日本の正念場なのだ。
55歳から75歳までを「ヤング・オールド」という言い方があるが、この人たちの能力は中年期とほとんど変わらない。知能も、経験や言語能力をを示す「結晶性能力」は、80歳位まで、急激な下降線は認められない。作家、音楽家、宗教家、工芸職人など、高い能力を維持し、志高く生きている例は枚挙にいとまない。
サクセスフルエイジングという概念は、日本ではまだ社会に浸透している考え方ではない。しかし、経営者もサラリーマンも、塾考に値する概念であると思う。
日本老年社会学会に話を戻そう。世界でもっとも高齢化し、高齢社会を切り抜けていくパイオニアにならなくてはならない日本で、大学院レベルで老年学を研究するコースは、桜美林大学大学院がただひとつというのも奇異である。官僚に、産業界に、老年学という学問を学んだ人材が要求されている。また市民レベルでも、老年のことを情感で思うのではなくて、論理的に考えていく姿勢が必要ではないか。
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