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昨年の6月15日から三日間、東京・有楽町の国際フォーラムで第47回日本老年社会学会が開かれた。同学会が設立されたのは1959年。当時は日本は「青年国家」と呼ばれるほど、高齢化とは無縁の時代だった。日本が高齢化社会の入り口に立ったのは1970年。それから急激な高齢化へのひた走りはご存知の通りだ。学会設立時は先駆的な研究者の集まりで、一般の人々からはほとんど省みられることはなかった。
超≠ニいう字がつく高齢社会を迎えた今、老年学(ジェロントロジー)は、きわめて重要な学問になってきた。同学会の会員数も約1700人と急成長している。医学、看護・介護学、心理学、社会学、生命倫理、哲学など、多くの領域にわたっている。超学際的な学問ということができる。
これまで老年の学というと、病弱な老人、障害老人、認知症(痴呆)、寝たきり老人を対象にするというイメージがあったが、学会に参加してみると、まったく違う印象を受ける。
桜美林大学大学院の柴田博教授の会長講演のタイトルは『高齢者の社会貢献の意義』。高齢者が保護され、介護され弱者としての高齢者ではなく、生きがいを持って仕事やボランティアとして、社会貢献する前向きに生きる高齢者の人間学であるというメッセージが、柴田教授の講演から聞こえてくる。
「ごく普通の人に聞いていただいて、面白いな、と思わせるものでないと、社会に息づく老年学ではないと思います。もちろんそれが、きちんと理論化されていないと学問に値しないということは、言うまでもありませんが」(柴田会長の話)
アメリカで語られ始めた概念であるが、「サクセスフル・エイジング」がある。「成功した年のとり方」とでも訳しておこうか。今回の学会でもこの概念が大きなテーマになった。
柴田会長は講演の中で「サクセスフル・エイジングの条件」として三つの条件を示した。
1) 長寿 2) 高い生活の質(QOL) 3) 高い社会貢献。
人生の完成期が、健康で、社会に対して貢献できることは、無上の喜びに違いない。
「団塊の世代07年問題」がある。600万人を超すこの世代が相次いで定年を迎える。2015年には、団塊の世代の人たちが老人としてカウントされる。やがて後期高齢者になる。そのとき、医療費は80兆円に膨れ上がるといわれている。年金はどうなる。これからが日本の正念場なのだ。
55歳から75歳までを「ヤング・オールド」という言い方があるが、この人たちの能力は中年期とほとんど変わらない。知能も、経験や言語能力をを示す「結晶性能力」は、80歳位まで、急激な下降線は認められない。作家、音楽家、宗教家、工芸職人など、高い能力を維持し、志高く生きている例は枚挙にいとまない。
サクセスフルエイジングという概念は、日本ではまだ社会に浸透している考え方ではない。しかし、経営者もサラリーマンも、塾考に値する概念であると思う。
日本老年社会学会に話を戻そう。世界でもっとも高齢化し、高齢社会を切り抜けていくパイオニアにならなくてはならない日本で、大学院レベルで老年学を研究するコースは、桜美林大学大学院がただひとつというのも奇異である。官僚に、産業界に、老年学という学問を学んだ人材が要求されている。また市民レベルでも、老年のことを情感で思うのではなくて、論理的に考えていく姿勢が必要ではないか。
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