最近の新聞紙上には「経済格差」とか「格差社会」というような格差≠ニいう活字が飛び交わない日はない。OECD(経済協力開発機構)の調査結果によると、2000年の時点で相対的貧困率13.5%。アメリカ(13.7%)に次ぐ貧困国になっていることがわかった。相対的貧困率とは、中位所得の半分にも満たない家計の割合を示す。
日本人の大部分が、自分は中流だと思っている「1億層中流」が、威勢よく語られていたのは、ついこの間だという気がするが、とっくに落日を迎えていたのだ。政府は「経済格差」をなかなか認めようとしなかったが、数字を見せつけられると、格差社会は進んでいることを納得せざるを得ない。しかし格差社会を正当化しようという人も少なくない。
「格差は悪いことではない。成功者をねたむ風潮は慎まないと、社会の発展はない」(小泉首相・06年3月2日の衆院予算委員会で)。
「例えば70年代のイギリスを見れば分かるとおり、ぎりぎりまで来てコンドームが買えない&n困層が増えれば、自然に少子化は回復に転ずる。これは今の日本では乱暴な比喩に聞こえようが、細かい各論だけにとらわれて、国全体を低いレベルで平均化することだけに腐心すれば、必ず日本は沈み続ける」(『Will』06年6月4日号)。京都大学の中西輝政教授の発言である。なんとも大胆な発言ではある。
格差社会を正当化しようと、強弁しても、私は格差社会を認めようとは考えない。不平等な社会は、住みよい社会であるとは思えないからである。格差社会と並んで、最近は「健康格差社会」ということが問題にされるようになった。
日本福祉大学の近藤克則教授が著した『健康格差社会―何が心と健康を蝕むのか』(医学書院刊)が発端である。
医療を受けるにも自己負担が増え、お金のない人ほど医療にかかりにくくなった。低所得者ほど病気になりやすい、と近藤教授は指摘する。高齢者を対象にした調査では、最高所得者層と、最低所得者層で、抑うつ状態の人の割合に女性で4.1倍、男性で6.9倍の差がある。経済格差が、社会的、心理的なストレスとなって心身に悪影響を与えるという。不平等を広げ、社会保障を軽んじる政策に、健康の視点から警鐘を鳴らしている。
『週刊医学会新聞』で、近藤克則氏と佐藤俊樹氏が対談している。佐藤氏は、『不平等社会日本―さよなら総中流』(中公新書)の著者で、東京大学大学院総合文化研究科助教授。気鋭の社会学者だ。佐藤氏は、平等にも「結果の平等」と「機会の平等」の2つがあって「機会の平等」は私たちのとって、最大限尊重すべき大原則にあたるとものだいう。
同じ条件でスタートし「努力した者が報われるべき」だとすれば、努力してお金をもうけたのは当然であろう。これが野放図に行われるのは問題はあるが。結果の不平等はある程度認めざるを得ないのである。
佐藤氏は言うのである。「(機会の平等を確保するためには)そのひとつは、再挑戦可能性の確保≠ネんです。これはずばり、心身の健康≠ニいってもいい。再挑戦できるためには、その前提として明日も挑戦できる心と体≠ナなくてはなりません」
「再挑戦」とは、敗者復活戦といってもいいかもしれない。そのための大前提が、健康≠ニいうわけである。それゆえに「健康格差」は絶対にあってはならない、というのだ。これは当然のことである。
ゴルフでも将棋でも、実力が違うものが対戦するとき、ハンデを設ける。ゲームを楽しむためだ。しかし、実人生ではハンデをつけてはならない。これが機会の平等である。角や飛車を抜かないお互いが互角で戦う20コマずつ並べた状態をオリジナル・ポジションという。『正義論』を書いた指示哲学者ジョン・ロールズの重要なキーワードである。私たちのオリジナルポジションは、心とからだの健康であると言いたい。 |