先日、舞鶴市に行ってきた。産科医不足の問題を取材するためだった。舞鶴市は京都府の北部にあり、日本海若狭湾を望む地方都市。舞鶴市内には公的病院が4施設。舞鶴赤十字病院、市立舞鶴市民病院、舞鶴共済病院それに国立病院機構舞鶴医療センターだ。
現在、4病院のうち、お産ができるのは舞鶴共済病院のみである。あとは診療所がお産を扱っているが、近く止めるといわれている。舞鶴市で「出産難民」の事態が出来したのは、今年2月、国立病院機構舞鶴医療センターが産婦人科を閉鎖してからである。舞鶴医療センターでは、産婦人科を休止する以前は、3人の産婦人科医が分娩にたずさわっていた。その中の一人は女性医師、自らも子どもができて、退職。次いであとの二人も退職していったのだ。
前述したように現在は、舞鶴共済病院が、唯一、お産ができる病院になったわけだが、舞鶴医療センターが、お産ができなくなって共済病院に集中することになり、それまでは一ヶ月に分娩件数が、40件だったのだが、70件くらいになった。3人の医師が、宿直をこなし、70件の分娩をするローテーションを維持することは、すでに限界を超えている。1ヶ月の超過勤務もひとり100時間をオーバーしている。過酷な勤務である。 もちろん「里帰り出産」は断らざるを得ない。産科医療の現場の医師からも、産みの場を失った女性たちからも悲鳴が聞こえてくるようである。舞鶴市の事情が特異なのではない。全国各地からこうした悲痛な声が上がっているのだ。
首都圏も例外ではない。横浜市で開かれた『どうなるお産』というシンポジウムを聴いた。ここでも悲痛だった。公的病院の産婦人科部長は、「この10日間に4回当直をした」と語り、オフのときも、オンコール体制、深夜でも自分の車を運転して病院に駆けつけると言う。こんな過酷な勤務をしている業種が他にあるだろうか。
産科の開業医は、日本は周産期死亡率は低いが、「それでも1万人に1人は死ぬ。死ぬのを救えないケースがある。それをすべて医師の責任にする」と話していた。医師の話を聴いていると、心から同情を禁じえないし、こういう状態を続けてはならないと思う。
産科医療は、危機に瀕し、医療崩壊に向かいつつあると思う。ジャーナリストの1人として、非力ながら、どうすればいいのか、と考え込み、解決策を模索する。当たり前すぎて非難されそうであるが、医療者も、行政も、ジャーナリズムも、市民も、皆で前向きに考えなくてはならない問題だと考える。
しかし、それぞれのステークホルダーの話を聴いていると、それぞれ被害者意識でものを言っていることが多いように思えてならない。医療者が多く参加しているメーリングリストなどを見ると、若い医療者ほどその傾向が強いのが気にかかる。医療者側から奇妙にに盛り上がってるのは、マスコミ批判と患者批判である。若い医療者たちが、「マスゴミ」なんていっているのは愉快ではない。
「不可抗力で患者が死亡しても、現場を知らないマスコミは、まるで犯罪者のように書き立てる」
「かわいそうな患者を助けるのが医者や看護婦の仕事だろ、と言ってのける横柄な患者が増殖している」
「患者の権利ばかりがクローズアップしている」「クレーマー患者があふれている」・・・などなど。
患者がのさばり、マスコミが煽るという風潮の中で、「産婦人科医や小児科医が日本から消えてもしょうがないだろう」と結ぶのが常だ。
このような声は、彼らの本音であり、事実を述べたものでもあり、貴重だと思い、傾聴している。だが―と思う。
医療者が患者を軽蔑し、メディアに敵意を持つことから、何が生まれるのだろうか。“Mutual respect”お互いを尊重し合う関係を取り戻せないものか。精神論をたれているのではない。軽蔑し合う関係からはなのも生まれないことを、人はみな実感しているはずである。 |
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