医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考えるコンシューマーヘルス
 
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エッセイ月刊「新医療」掲載分>政治家という名の成熟しない子どもたち

政治家という名の成熟しない子どもたち

 
 
  永田寿康議員のメール問題≠ヘ本誌が、皆様の目にふれる時点ではすっかりほとぼりが冷めているかもしれない。永田議員が素性の知れない、いわゆるガセネタを手にして「ライブドアの堀江貴文容疑者が自民党の武部勤幹事長の次男に3千万円を振り込むように指示したメールがある」――と、威勢よく質問したのだが、メールの真贋をめぐって国会は大荒れ。その迷走ぶりは目を覆いたくなるような惨状であった。
 
 私はメディアで仕事をしてきたから、よく分かるのだが、テレビや週刊誌の周辺では、怪しげな情報を売り歩く、自称ジャーナリストはうようよしているし、怪文書の類いは飛び交っている。疑い深く、目の肥えた編集者でも時にだまされて、とんでもない誤報を出してしまうこともある。
 
 まして手書きの文書ならいざ知らず、プリントアウトしたメール。しかも送信者が黒く塗りつぶされている。こんなメールらしき文書はいとも簡単に偽造することができる。そんな紙片を振りかざして国会質問をする。とても分別のある大人のする行為ではない。しかも永田議員が質問をすることを容認した民主党の首脳陣も尋常ではない。
 
 私も企業悪を暴いたり、あるいは悪徳病院の悪行をスクープしたことがある。そのときは私の書いた原稿を一行々々、編集者、弁護士と「裏が取れているか」を検証しながら、発表したものである。それにしても大胆のいうか、無知というか、選良である国会議員のやることではない。問題が混迷すると、病院に逃れる。記者会見で涙を流して「ごめんなさい」で一件落着なのか。二大政党の一翼をになう民主党の前原代表の一連の言動をみてもとてもリーダーシップとはほど遠い。政治とは「言葉」である。それにしても現在の政治家たちの言葉のなんと軽くて空疎なことか。
 
 小泉チルドレン≠ニよくいわれる。考えてみれば、奇妙な言葉ではある。政治家とは、成熟した大人、つまりマチュアなアダルトでなくてはならないはずである。マチュアとは「成熟した」「分別のある」という意味である。アメリカの新聞などの求人広告を見ると、「マチュアな人を求む」という言葉をよく見かける。チルドレンといわれるような政治家はいてほしくなのである。
 
 過日、国連大学ウ・タント国際会議場で「日本の決断〜国民が真に求める医療政策とは」というシンポジウムが開かれた。民間のシンクタンク「日本医療政策機構」(代表理事・黒川清・日本学術会議会長)が主催したもの。

 前東京大学総長の佐々木毅氏が司会したディスカッションは、経済界、学界、官界の人たちの話は、それなりに考え抜かれた話だった。「政党論議」と銘打たれたパネルディスカッションは、自由民主党、公明党、民主党から医療政策担当の衆議院議員が出席したのだが、彼らの発言は、印象的な発言はほとんどない。司会者が、「まず10分くらいでお話しください」と言っても、これを無視して20分以上も話す。次の政治家も負けてはならじという感じで、時間オーバーする。また次の政治家も延々と話す。これはルール違反だ。信号無視、スピード違反と同様の罪悪である。お三方が一巡したときは、時間の大半が過ぎている。ぶち上げる演説の滔々とした口調は、一種の雄弁なのだろう。「患者の視線に立った医療」「国民に満足のいく医療」などと口当たりの良い言葉は出るのだが、まるで具体的なイメージは見えてこない。私たちが知りたいことは、何を実践すれば、満足のいく医療を実現できるか、という成熟した大人の言葉なのだ。言葉が流れている。軽すぎる。空疎である。だからなにも印象に残らないのだ。
 
 私たちは空疎な言葉に飽きあきしている。涙流して「ごめんなさい」というようなマチュアでないチルドレン的な政治家があまりの多すぎる。

 「政治家は賎業」という言葉があるが、いまや国民から軽んじられる存在になりつつあるのではないか。


 
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