8月18日付の『読売新聞』朝刊を見て暗い気持ちになった。一面のトップが「横暴な患者 病院苦悩」という見出しで、全国の大学病院で、昨年一年間に医師、看護師が患者や家族から暴力を受けたケースが、少なくとも約430件、理不尽なクレームや暴言も約990件確認されたという。聴診器で首を締められた医師、検査で異常がなかったので「お金を払わぬ」と言う患者…などなど。
看護師に対する暴力も深刻である。看護雑誌『看護管理』(2006年10月号)の「看護・医療職を暴力≠ゥら守る環境をどうつくるか」という特集記事を読むと、その病状≠ヘ重篤である。7割の看護師が暴力を経験しているという。「性的な関係を迫られる」「抱きつかれる」「写真やビデオを隠し撮りされる」などいわゆるセクハラも多発している。病を癒す空間が、いまや病的な暴力の場と化している。
医療機関だけの話ではない。学びの空間である学校が、理不尽なクレーマーが跋扈する場に成り下がっている。文部科学省は、クレーマー対策として、各学校が弁護士を依頼して処理することを検討している。保護者であるクレーマーが、弁護士と一緒に学校を訪れることも多いというから学校側も弁護士を、ということになるのだろうか。
苦情例をあげると「うちの子が窓ガラスを割ったのは、校庭に石が落ちていたのが悪い」「けがをした自分の子を、なぜあんなやぶ医者に連れて行ったのか」「学校へ苦情を言い来るために会社を休んだので休業補償を出せ」など。
こうしたクレーム、暴力は最近になって加速度的に増えている。この現象をどう見たらいいのか。日本人の権利意識が強くなったのがのが原因だ? もっともらしいが、答えになっていない。
私は、子が親を殺し、親が子を殺す、給食費を払えない、ではなく払わない、大臣が、何人もカネで躓く…みんな同根の犯罪だと思う。こうした現象を倫理学など人文学的に解釈しても答えは出ない。経済学者の佐和隆光氏が、近著『この国の未来へ』(ちくま新書)の次の一節が実に新鮮に感じられた。
<
90年代は「失われた10年」といわれるが、最大の遺失物はなんだったのかと問われれば、躊躇せずに私は「人的資本の劣化」だと答えたい。>と。
人的資本の劣化、経済学者らしい言い方だが、日本人は、劣化して壊れかかっているのかもしれない。
今年3月に亡くなったフランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは、1995年来日した時、「日本という国が豊かなのは日本人が貧しいからだという逆説の成り立つように思える」と語ったという。ボードリヤールの代表作『消費社会の神話と構造』(紀伊国屋書店刊)の中に、未開人は何も所有していない絶対的「貧しさ」にもかかわらず、真の豊かさを知っていた――というくだりがある。
ボードリヤールの旧石器時代ののほうが現代よりは豊かな社会だった、という言い方と日本人は貧しいから豊かになったという逆説は、一対をなしている。
逆説だなんて言わないで、私自身は、「日本人は貧しい」と言いたい。貧しいということは、幸せではないのだ。下世話に言えば「金持ち喧嘩せず」というではないか。幸せじゃないから、貧しいから保護者が、学校にクレームをつけるのだ。貧しくて幸せじゃないから医師、看護師に暴力をふるい、暴言を吐くのだ。
現代という時代は、豊かに見えて貧しいのだ。平和に見えて乱世なのだ。暴力(言葉の暴力も含めて)は、断固制裁すべきだろう。
しかし、クレームをすべて否定してはならないと思う。クレームの中には、患者側の正当な言い分も含まれているはずだ。医療機関を改善する貴重な宝が隠されているかもしれない。患者の言葉に耳を傾けることを怠るならば、病院側もまた、病的な組織≠ノ転落するだろう。患者も医療者も、相手を思いやる想像力を研ぎ澄まし、相手を非難するばかりの非難文化≠ゥら脱却して、心豊かにならなくてはならない。 |