医療ジャーナリスト和田努の「医療・健康・福祉」を考えるコンシューマーヘルス
 
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【partT】
医師はお金持ちであるという神話
【partU】
医療とは極めてローカルなもの
【partV】
アウシュビッツといまどきの常識
【partW】
健康志向大国<jッポンは今・・・
【partX】
当世名医≠フ作られ方
【partY】
医療をあつかうメディアの学力
【partZ】
メディアは医学情報を正しく伝えているか
【part[】
メディアにはびこる「二分法思考」
【part\】
テレビの劇場化現象を愁う
【part]】
医療事故とマスメディア
【partU】医療とは極めてローカルなもの
 

  医療を受ける人たちの間で、医療に対する不満や不安は、極限まで鬱積しているようにみえる。私のパソコンには、医療に対する相談や問い合わせが飛び込んでくる。「こんな病気で医師にかかったが、もっといい医師はいないか」とか「あの病院は大丈夫なのか」などなど。知人、友人はもとより見ず知らずの方々から寄せられるのである。できるだけお役立ちしたいと思うのだが、残念ながらお手上げというケースが少なくない。首都圏、関西圏の情報は多少は把握しているつもりだが、地方の情報は残念ながら分からない。
 
日本のメディアは中央集権的であるといわれるが、情報の伝達回路は、概ね東京発≠ナある。メディアは東京に集中している。もちろんテレビ局は各地にあるし、新聞社も地方にある。テレビは番組の大半は東京のネット局から送られてくる。新聞も多くの記事は東京の通信社から配信される。出版社となると、圧倒的に東京が中心である。
 
医療情報も例外ではない。東京発≠フ情報で占められている。私自身も東京発指向に毒されていることに気づくことがある。私は神奈川県の鎌倉市の住民であるが、地元の医療事情についてまったくといっていいほど無知である。東京のことは多少事情に通じているが、足元のことが分からない。
 
そのおかしさに気づいたのは、自分が手術を必要としたときである。真珠腫性中耳炎という耳慣れない診断名で、鼓室をを形成し、鼓膜を移植するという難しい手術を受けることになった。さてどこの病院に行くべきか。東京の大学病院の知り合いの医師に相談してみた。「うちの病院の耳鼻科には、その手術ができる医師はいない」と、いろいろ調べてくれて、私の住所の近隣の市の私的病院の耳鼻科に技量の高い医師がいることを見つけてくれた。いわゆる名医本≠フ類にも載っていない若手の医師だった。私はその医師の手術を受け、手術は成功して聴力も回復した。 書店には、名医本の類が氾濫している。手にとってみて思い浮かべるのは、このような本が本当に役に立つのだろうか、という疑問である。手術件数で選び出したもの、患者が選んだ病院とか、新しい切り口で編集したものもあるが、やはり、東京発全国区の情報なのである。北海道の人が、東京の名医≠ェ紹介されていたとしてもどれほど役に立つのだろうか。
 
医療とは極めてローカルなものではないだろうか。「かかりつけ医を持とう」という。かかりつけ医はロールエリアで持たなくては意味をなさない。入院治療を受けるにしても地域の病院が好ましい。私自身、読者の皆さんも、自分の住んでいる地域の医療事情をどれだけ把握しているだろうか。
 
拙宅の近くの私的病院副院長に親しくしていただいている。彼は地元医師会の理事もつとめている。その医師に問うてみた。

「医師会の会合に出ていらっしゃるわけですから、鎌倉市内の病院の情報、医師の得意分野などはよく知っているのでしょう?」と。答えは意外だった。「それがほとんど分かりません。まして診療所の医師に関してはまったくといっていいほど伝わってきません」
 
同じ市内の医師が地域の医療情報を知らない。一般の市民はもっと知らない。冒頭で、医療を受ける人の医療に対する不満、不安が鬱積してる、と述べたが、自分の住んでいる足元の医療情報から疎外されていることと無縁ではないのではないか。医療情報は氾濫しているかに見える。人々は東京発の情報で頭でっかちになっている。真に役立つ小味なローカルな情報には飢えている。
 
わが町の市会議員の選挙があった。候補者たちは「地球に優しい市政」「お年寄りに優しい医療福祉」とか、どこかで聞いた風な言葉をはやし立てる。真にローカルな発想はない。小型国会議員の氾濫である。医療をもっとロカリーに発想することがが大切ではないか、自分にも言い聞かせているのである。


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