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前回「メディアにはびこる二分法」というテーマで書かせていただいた。
イエスか、ノーか、善か悪か、これが二分法である。「この人いい人、悪い人?」と幼児がよく聞く。二分法はまことにに分かりやすい。ブッシュさんや小泉さんの劇場型政治、ワンフレーズ・ポリティックスを多少皮肉った内容だった。拙文を読んでいただいた人が、「実にいいタイミングだったね」と言ってくださる。しかしあの文章は、衆議院が解散する前に書かれたものだ。月刊誌というのは、原稿の締切日から、雑誌が出来上がるまでにかなりの日数がかかるから、時差が生じてしまう。
書いた私のほうが驚いた。衆議院が解散されて、相変わらず、郵政民営化するのか、否か、の二分法がまかり通り、新聞には「小泉劇場」という活字が躍る。女刺客が落下傘で降りて、ホリエモンという金儲けの上手な若者が、縁もゆかりもない選挙区から立候補する。テレビのワイドショーは、大はしゃぎである。まさにテレポリティックスだ。
「テレビは政治を身近にした」という意見もあるが、劇場型政治まかり通る中で本当に立派な政治家が生まれるのだろうか。ワイドショーに興じている多くの国民のための政治がなされるのだろうか。 医師の世界でも同じようなことが言えるのではないか。先日、一人の医師にお会いした。時折、テレビのワイドショーに出演されている開業医だそうだ。お会いして、そういえばどこかでお見掛けした顔だな、と思った。その医師は、テレビで名前が知られているから、年間数百回も講演をこなし、著書も数百冊もあると、おっしゃる。「結構ですね」と拝聴した。開業医として、診療もなさりながら、そんなに膨大な原稿を書きまくり、全国各地で講演されて、睡眠の時間は取れるのだろうか・・・。
なぜ私に会いたかったのか。長い自慢話が一段落ついたとき、やっと腑に落ちたのだった。「名医を紹介するような記事をお書きになるとき、私を取材するなら応じてあげてもいいよ」ということだった。「その種の記事は書く予定はありませんから」と丁重にお断りをした。
「名医」という言葉に拒否反応を示す良心的なす医師は多い。私自身もこの言葉には違和感がある。名医と自称する医師を私は尊敬する気にはなれない。テレビのワイドショーに露出したからといって「名医」になるというのもおかしな話だろう。この医師が問題だというよりは、名医と持ち上げるメディアのほうに責任があるのかもしれない。テレビに出る医師は「名医なんだ」と多くの人々が思い込むカラクリこそが問題なのだ。
米国の偉大なジャーナリスト、W・リップマンは、名著『世論』の中で書く。「われわれはたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る。外界の、大きくて、盛んで、騒がしい混沌状態の中から、すでにわれわれのために定義してくれているものを拾い上げる。そしてこうして拾い上げたものを、われわれの文化によってステレオ化されたかたちのままで知覚されがちである」と。
世論とは「ステレオタイプ」にとらわれて形成されるというのである。リップマンは、ごく普通の人が、羊の群れを見ても、みな同じようにしか見えないが、羊飼いは一頭一頭全部見分けられると、言う。
私は医療を守備範囲にしているジャーナリストだから、多くの医師を存じ上げている。日夜身を粉にして診療をしている医師、腕を磨きながら高度なテクニックで手術をする外科医、地道な研究をしている医学者たちを見ていることは幸せだと思う。羊飼いの眼には到底及ばないが、ステレオタイプにとらわれないようにしたいと念じている。
多くの人たちは、テレビに絶えず出演している人を「一流」だと思いがちである。もちろん一流の人も多い。有名、無名はとりあえず、一流≠ニは関係がない。メディア・リテラシーが大切であると前にも言ったが、これは羊飼いの眼に限りなく近づくために知性を磨くことかもしれない。
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