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私はNHKのディレクターだったこともあってテレビジョンに対して強い愛着を持っている。テレビに出演するときは、テレビスタジオのある種の熱気に故郷に対する愛惜のような感情を抱く。そのくせ最近あまりテレビを見ていない自分に気づく。意識的にテレビを見ないというのではなく、見ようと思って新聞のテレビ欄を覗くのだが、見たいと食指の動く番組にあまりお目にかかれないのだ。 本を熟読しながら、じっくりと考えるのは至福である。「熟視」という言葉はないが、熟視に耐える番組はお目にかかれない。
新聞のテレビ欄を少し注意してみていただきたい。なんとexclamationmark“!”が氾濫していることか。exclamationとは、興奮して絶叫することだ。このビックリマークが番組名にまで多用されている。たとえば、こんな感じ。「みのもんた朝ズバッ!」「ザ!世界仰天ニュース」。サブタイトルに至っては、直撃! 緊急! 独占!…といった具合だ。少しでも視聴者の目を引こうと、絶叫している感じが、ビックリマークの氾濫によく表れている。
テレビとは絶叫メディア≠セったのか。「面白くなければテレビではない」とは、どこかのテレビ局のキャッチフレーズである。面白くなくても大切なことは山ほどある。しかしテレビ番組の制作者たちは「面白いか、面白くないか」が、唯一のものさしになる。 なぜこのようなことになってしまったのだろうか。その答えは、テレビ界の専制君主、視聴率≠フ故である。この専制君主の前では、泣く子も黙るといった感じである。視聴率一パーセントは、約60万人が視聴しているといわれる。テレビマンはこの視聴率に一喜一憂する。番組制作者は能力を問われ、人事まで左右されてしまう。少しでも視聴率が上がってほしい。その渇望が、ビックリマークの氾濫になる、と思うのだが。
視聴率競争の行き着く先が、テレビ番組の劇場化≠セ。政治だって、経済現象だって劇場化してしまう。見世物に仕立ててしまうのだ。最近の例では、「ホリエモン現象」がそうだ。ホリエモンこと、堀江貴文氏は、劇場化にうまく乗っかって、時の主役を演じてしまう。「金だけがすべて」と言ってはばからない堀江氏は、若い人たちのヒーローに祭り上げられる。ことの本質は何も伝わってこない。
郵政の民営化にしてもテレビは大騒ぎをして連日放送しているが、どれほど本質を伝えているだろうか。テレポリティックと言われる現象である。
こと医療に関しても事情は変わらない国民医療費、医療事故、高齢者医療、医薬分業、がん医療……問題は山積している。問題の本質を市民に冷静に理解してもらわなくてはならない。市民が理解して初めて改革の糸口が見つかるのである。しかし、医療事故ひとつとっても事故を冷静に分析、医療事故の予防の糧にするという冷静な番組作りは稀であって、劇場化してしまう。臓器移植の問題にしても、生命倫理的に考えていくという姿勢は乏しく、「死刑囚から臓器摘出」「東南アジアで臓器の売買」というたぐいの番組がはばをきかせる。クローン人間の話題が取り上げられても、クローンの意味を、人々の理性に訴えるのではなくて、ヒトラーやサダム・フセインが大量に誕生したらどうなるか、興味本位で皮相な話にすりかえられてしまう。
ワイド番組で健康問題を取り上げるとき、タレント性豊かな(?)医師が登場して、「なになにを食べれば、がんの予防になる」「肥満が解消できる」…など、エビデンスの健康とぼしい情報を垂れ流す。その番組が放送された夕刻のスーパーマーケットでは「なになに」が品切れになる。
ビックリマーク氾濫のテレビ現象を、人々の理性に訴えるクールなメディアに再生させないと、日本人全体の学力≠ヘ、深い谷底におちてしまう。
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